友
2023年5月16日。
京都大学基礎物理学研究所教授 大西明先生が58歳で亡くなられました。
石川が北海道大学理学部物理学科原子核理論研究室で指導していただいた先生です。
大学によっても違うでしょうし、文系なのか理系なのかによっても違うでしょうが、大学の研究室は大学院生以上から仲間意識(家族意識?)が生まれるのではないでしょうか?
石川は大学4年生で研究室に配属され、右も左もわからないまま卒業研究をし大学院に進学することなく学部卒で就職しました。
つまり、研究室にいたのは1年間だけでした。
であるにもかかわらず、大西先生の訃報を石川にも知らせてもらえたのです。
知らせてくれたのは、同じ原子核理論研究室に配属された石川の同期です。彼は大学院に進学し博士の学位も持っています。
彼に大西先生の訃報が知らされるのは当然のことだと思うのです。しかし、それを知った彼が石川に伝えてくれたことが本当にありがたく感激しました。
(逆の立場だったらできていただろうか?全く自信がありません。)
彼のおかげで、大西明先生の教え子一同として弔電をおくることができました。たった1年間でしたが、石川にとっては偉大な先生に直接指導していただけた貴重な1年です。感謝の気持ちを添えられて本当に良かったと思っています。
同期の彼とは大学卒業後一度も連絡を取っていませんでした。20年以上です。仲が悪かった訳ではありません(少なくとも石川はそのように認識しています)。
寧ろ、物理学科での3年間、特に研究室で過ごした1年間は、よく語りあいました。卒業研究前にリハーサルとしてお互いの発表を相手に見せて意見を出し合うこともしました。
物理の勉強に限らず、政治や思想について話すこともありましたし、他愛のない話もよくしていたと記憶しています。必ずしも石川と同じ考え方ではなかったのですが、相手の意見を尊重し、しっかり話を聞いてくれて話をしてくれました。勉強熱心で、深い教養と社交性を兼ね備えた尊敬している友です。
石川は友人が極めて少ないと思います。
でも、彼のように何年も交流がなくても何かのきっかけさえあればお互いの積もる話ができる大学の時の友が何人かいます(石川が勝手にそう思っているだけで相手はそのように考えていないかもしれませんが)。
それぞれがどのような状況にいるのかも知らないですし、連絡先も知りません。でも、おそらく、大学生の夏、理学部のロビーで「物理数学どうよ?」、「如何ともしがたいわ~」というノリで、きっかけさえあれば、今でも話ができると思っています。
京都大学基礎物理学研究所教授 大西明先生が58歳で亡くなられました。
石川が北海道大学理学部物理学科原子核理論研究室で指導していただいた先生です。
大学によっても違うでしょうし、文系なのか理系なのかによっても違うでしょうが、大学の研究室は大学院生以上から仲間意識(家族意識?)が生まれるのではないでしょうか?
石川は大学4年生で研究室に配属され、右も左もわからないまま卒業研究をし大学院に進学することなく学部卒で就職しました。
つまり、研究室にいたのは1年間だけでした。
であるにもかかわらず、大西先生の訃報を石川にも知らせてもらえたのです。
知らせてくれたのは、同じ原子核理論研究室に配属された石川の同期です。彼は大学院に進学し博士の学位も持っています。
彼に大西先生の訃報が知らされるのは当然のことだと思うのです。しかし、それを知った彼が石川に伝えてくれたことが本当にありがたく感激しました。
(逆の立場だったらできていただろうか?全く自信がありません。)
彼のおかげで、大西明先生の教え子一同として弔電をおくることができました。たった1年間でしたが、石川にとっては偉大な先生に直接指導していただけた貴重な1年です。感謝の気持ちを添えられて本当に良かったと思っています。
同期の彼とは大学卒業後一度も連絡を取っていませんでした。20年以上です。仲が悪かった訳ではありません(少なくとも石川はそのように認識しています)。
寧ろ、物理学科での3年間、特に研究室で過ごした1年間は、よく語りあいました。卒業研究前にリハーサルとしてお互いの発表を相手に見せて意見を出し合うこともしました。
物理の勉強に限らず、政治や思想について話すこともありましたし、他愛のない話もよくしていたと記憶しています。必ずしも石川と同じ考え方ではなかったのですが、相手の意見を尊重し、しっかり話を聞いてくれて話をしてくれました。勉強熱心で、深い教養と社交性を兼ね備えた尊敬している友です。
石川は友人が極めて少ないと思います。
でも、彼のように何年も交流がなくても何かのきっかけさえあればお互いの積もる話ができる大学の時の友が何人かいます(石川が勝手にそう思っているだけで相手はそのように考えていないかもしれませんが)。
それぞれがどのような状況にいるのかも知らないですし、連絡先も知りません。でも、おそらく、大学生の夏、理学部のロビーで「物理数学どうよ?」、「如何ともしがたいわ~」というノリで、きっかけさえあれば、今でも話ができると思っています。
この記事へのコメント
よくぞ質問してくださいました!
結論から申しますと、4月末に稼働し始めた石川数学塾のホームページの問い合わせホームを使って石川に連絡をくれました。
20年以上前でも多くの大学生が携帯電話をもっていましたが、その中で石川は携帯電話を持たずに大学生活を送っていたました。就職が決まりさすがに必要かと考え大学卒業間近になって初めての携帯電話を持ちました。石川が今使っている携帯電話の電話帳に彼の名前と電話番号は登録されていますが、大学卒業後、一度もかけたことはありません。(このコメントをいただいて電話帳を調べて彼の名前があることに驚いたくらいでした。)
石川自身大学卒業後、アカデミアで活躍している同期たちのことが気になり研究室のホームページやリサーチマップを使って彼らのその後の活躍を覗き見る程度でした。そして、ありがたいことに、院には進まず就職した石川のことを彼は気にかけてくれていて(初勤務地が帯広であることは卒業時に彼に伝えていたと思います。)、石川が独立開業したことをネットを介して把握してくれていたのでした。東京の私立大学で教員をしている石川の兄(オッカム)がツイッターをやっていまして、石川のこと、石川の学習塾のことを時折つぶやいています。そこで石川の動向を知る人も多いようです。彼もこの口のようです。石川もかなり物語る方だと自負しているのですが、兄にはまったくかないません。兄のツイッターには、石川の独立開業の経緯の裏側がこのブログよりもはるかに詳細に物語られています。
なんか話がそれてしまいましたが、石川数学塾のホームページからの記念すべき第一号が旧友からの恩師の訃報だったのでした。