「学ぶとは何か」を学ぶ





共通テスト直前、登校日であるにも関わらず、受験生である高校3年生に対して「なんでお前ら学校に来てるの?」という学校の先生がいるとかいないとか。





2月9日(日)。大学入学共通テストが終了して3週間がたちました。そして、国公立大学前期日程の試験日である2月25日まであと2週間あまりとなりました。
今日も朝から受験生が自習に来ています。
また、釧路湖陵高校は2月10日(月)が公立高校推薦入試の面接日のため学校が休業日となっているので、2月8日(土)~2月11日(火)で4連休です。
そして、2月13日(木)~2月18日(火)で定期テストが実施されます。
なので、高1・高2の塾生でも自習に来ている者がいます。

日曜日に塾に来て勉強する、本当に立派なことだと思います。
入試前、テスト前なのだから、勉強するのは当たり前であると、大人は思いますが、意外とそうでもないはずです。
「1日くらい…」とか「日曜日だから…」とか「休息も必要だから…」とか、色々言ったり言わなかったりしながら勉強しない高校生は少なくないと思います。
テストの難易度が高かったり、学校の授業がものすごいスピードで進んだり、試験範囲がなかなか発表されなかったり、という生徒側にとってどうにもできない要素はあるのですが、
それぞれの生徒の勉強に向き合う姿勢に応じた結果になっているように石川は感じています。もちろん、石川の観測範囲はとても狭いので一般論ではないのかもしれませんが。

国公立大学の2次試験に向けて数学が必要な生徒には個別に添削指導をしています。返却する際には時間をとってもらい一緒に復習しています。授業をしているのとほとんど変わりません。
問題を解いて正解と不正解を確認するだけでは賢くなりません。また、特定の公式や解法を覚えれば良いのではなく、問題とどのように向き合うのかを一緒に考えます。
また、間違ったり、わからなかった時には、何が原因なのか、どのような勉強をすべきなのかを一緒に考えてもらいます。過去問を1題解いたら、1題分賢くなったと思っているようでは、ダメなのだと思います。その姿勢では合格するにはほど遠いのではないでしょうか。なぜなら、その1題は過去問なので今年出題される可能性はほぼゼロでしょうし、この姿勢で取り組んで合格するためにはとんでもない数の過去問を解いた上ですべてを暗記しておかなければならなくなります。これは人間技ではないでしょう。
その1問を解くことを通して、数学を学ぶのです。もっと言うと、数学に限定せず、学ぶとはどういうことかを学ぶのです。石川と一緒に復習するのは1回に付きせいぜい2時間ですが、この姿勢で取り組めば、その生徒が一人で勉強しているときにも学びの質が向上するので解いた問題数以上の学力向上が期待できます。これは、石川数学塾の特別な方法なのではなく、勉強ってそういうものだと石川は思っています。

当然のことですが、石川は進むべき道を指し示すことしかできません。実際にそこに向けて足を踏み出すのは生徒自身です。やる生徒もいればやらない生徒もいます。
必要なことだけを勉強したい、という気持ちはわからなくもないのですが、そんなことって可能なのでしょうか?
そもそも必要なことって何なのでしょうか?また、その必要なるものが仮にあったとして、それはどのように特定できるのでしょうか?他との関係性でしか理解できないように思うのです。

過去問を10年分解けば良い、と思って勉強している生徒は、おそらく、やった10年分ですら解けるようになっていないと思います。
逆に、
学ぶことを意識できている生徒は、過去問を1年分しか解いていなくても、10年分でも20年分でも解けるようになると思います。

人はいつ変わるかわかりませんし、いつでも変われます。そして、まだ時間はあるのです。

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