相対評価であったとしても
「模試でA判定だったのに不合格になった」
「共通テストでボーダーラインを上回ったのに不合格だった」
不合格であることが意外なことであるかのような物言いなのですが、これは、意外でも何でもなく、普通にあり得ることだと思います。
模試の判定は、その模試の中での相対的な位置を示すものであり、将来受験する大学入試の結果を占うものではありません。(おそらく、すべての模試の成績表にこのことが注意書きされているはずです。)もちろん、模試の結果がA判定ばかりの受験生が大学入試本番だけ相対的に悪い結果になることは、可能性としては低いでしょうが、あり得ない話ではないでしょう。最後に行われる模試は11月。入試本番である共通テストや2次試験まで2か月から3か月あるのです。みんなが死に物狂いで勉強する時期ですから、目まぐるしく順位変動していると考えるのが妥当ではないでしょうか。
また、
共通テストでボーダーラインを越えていても、合否は共通テストの結果と2次試験の結果の合計点で判定されるので、2次試験の結果によっては不合格になることもあるでしょう。共通テストと2次試験の配点にもよりますが、共通テストと2次試験の配点比率が1:1もしくは2次試験の方が高いならば、共通テストでボーダーラインを超えることに大きな意味はないのです。共通テストの結果を踏まえて出願し、死に物狂いで勉強する時期ですから、共通テストの日から目まぐるしく順位が変動していると考えるのが妥当ではないでしょうか。
ただ、
「模試でA判定だったのに不合格になった」と言っている人も 「共通テストでボーダーラインを上回っていたのに不合格になった」と言ってる人も、上記のことはわかっているのだと思います。わかっているけど、模試でA判定をとって嬉しくなってしまったんですよね。ボーダーラインを上回って嬉しくなってしまったんですよね。そりゃ嬉しいに決まっています。様々なものを犠牲にして勉強しているのですから。(もしくは「模試がA判定であったこと」や「共通テストでボーダーラインを上回っていたこと」それ自体を主張したいのでしょう。)
でも、誰にも注意されなかったでしょうか?学校の先生や、塾・予備校の先生は厳しいことを言っていなかったでしょうか?そのときに聞く耳をもっていたでしょうか?
おそらく、ポイントをここです。
模試でA判定をとって嬉しくなることが悪いのではなく、共通テストでボーダーラインを越えて嬉しくなることが悪いのでもないのです。先生と言われる人たちの話に耳を傾けることができなかったことが問題なのだと思います。自分にとって都合の良いことを聞き入れ、自分にとって不都合なことを聞き流す。自覚・無自覚、どちらであっても幼稚であることに変わりありません。耳障りの悪いことにこそ成長のきっかけがあると思いませんか?大学入試は相対評価であることに違いはないのですが、他の誰かを引きずり下ろすことはできません。自身が成長することで他の誰かを上回ることしかできないのです。合格するために大切なことは、自身が成長することです。
模試でA判定をとって喜び、それをそのあとの勉強の励みとすれば良かったのです。
共通テストでボーダーラインを越えて喜び、それをそのあとの勉強の励みとすればよかったのです。
自分の考えをもって、自分が正しいと思う通りに勉強するのは立派なことだと思います。
でも、所詮、大学受験です。答えがあるのです、ものによっては、結論に至るプロセスですら指定されていることがあるのです。個性を発揮するタイミングではないのだと思います。学校の先生、塾・予備校の先生が言う通りに、教科書や参考書に書かれている通りに勉強するのが賢い方法でしょう。
「共通テストでボーダーラインを上回ったのに不合格だった」
不合格であることが意外なことであるかのような物言いなのですが、これは、意外でも何でもなく、普通にあり得ることだと思います。
模試の判定は、その模試の中での相対的な位置を示すものであり、将来受験する大学入試の結果を占うものではありません。(おそらく、すべての模試の成績表にこのことが注意書きされているはずです。)もちろん、模試の結果がA判定ばかりの受験生が大学入試本番だけ相対的に悪い結果になることは、可能性としては低いでしょうが、あり得ない話ではないでしょう。最後に行われる模試は11月。入試本番である共通テストや2次試験まで2か月から3か月あるのです。みんなが死に物狂いで勉強する時期ですから、目まぐるしく順位変動していると考えるのが妥当ではないでしょうか。
また、
共通テストでボーダーラインを越えていても、合否は共通テストの結果と2次試験の結果の合計点で判定されるので、2次試験の結果によっては不合格になることもあるでしょう。共通テストと2次試験の配点にもよりますが、共通テストと2次試験の配点比率が1:1もしくは2次試験の方が高いならば、共通テストでボーダーラインを超えることに大きな意味はないのです。共通テストの結果を踏まえて出願し、死に物狂いで勉強する時期ですから、共通テストの日から目まぐるしく順位が変動していると考えるのが妥当ではないでしょうか。
ただ、
「模試でA判定だったのに不合格になった」と言っている人も 「共通テストでボーダーラインを上回っていたのに不合格になった」と言ってる人も、上記のことはわかっているのだと思います。わかっているけど、模試でA判定をとって嬉しくなってしまったんですよね。ボーダーラインを上回って嬉しくなってしまったんですよね。そりゃ嬉しいに決まっています。様々なものを犠牲にして勉強しているのですから。(もしくは「模試がA判定であったこと」や「共通テストでボーダーラインを上回っていたこと」それ自体を主張したいのでしょう。)
でも、誰にも注意されなかったでしょうか?学校の先生や、塾・予備校の先生は厳しいことを言っていなかったでしょうか?そのときに聞く耳をもっていたでしょうか?
おそらく、ポイントをここです。
模試でA判定をとって嬉しくなることが悪いのではなく、共通テストでボーダーラインを越えて嬉しくなることが悪いのでもないのです。先生と言われる人たちの話に耳を傾けることができなかったことが問題なのだと思います。自分にとって都合の良いことを聞き入れ、自分にとって不都合なことを聞き流す。自覚・無自覚、どちらであっても幼稚であることに変わりありません。耳障りの悪いことにこそ成長のきっかけがあると思いませんか?大学入試は相対評価であることに違いはないのですが、他の誰かを引きずり下ろすことはできません。自身が成長することで他の誰かを上回ることしかできないのです。合格するために大切なことは、自身が成長することです。
模試でA判定をとって喜び、それをそのあとの勉強の励みとすれば良かったのです。
共通テストでボーダーラインを越えて喜び、それをそのあとの勉強の励みとすればよかったのです。
自分の考えをもって、自分が正しいと思う通りに勉強するのは立派なことだと思います。
でも、所詮、大学受験です。答えがあるのです、ものによっては、結論に至るプロセスですら指定されていることがあるのです。個性を発揮するタイミングではないのだと思います。学校の先生、塾・予備校の先生が言う通りに、教科書や参考書に書かれている通りに勉強するのが賢い方法でしょう。
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